勝手な受信と勘違いの応答

僕はあまりやりたいことがない。

いまやっている美術も元はといえば人の要請に応えるためだった。

高校生の僕は当時付き合っていた美術が好きな彼女をよろこばせようと、美術の世界に入った。

ただ彼女にとっての美術は憧れの対象で、恋人になってほしいとは一度も思っていなかったらしい。

僕がどんどんのめりこんでいくほど、絵が上達していくほど、僕が遠くなっていくようで寂しかったと、4年ほど前再会した折に告白された。

本当は美術なんてやらないでふつうにそばにいてほしかったと。

もうなにもかも手遅れで、どんなに近づこうとしても及ばない距離にいる彼女に向かって僕はプロポーズをしたけど、あたりまえのように断られた。

 

いまもまだ僕は美術をやっている。

前よりももっと深くのめりこんでいる。

元は人から勝手に要請されたと思い込んではじめたことだけど、それが思い込みだとわかってもなお続けている。

たくさん勉強をして、見て、感じて、考えて過ごしてきた。

しかしもともと空っぽな動機はすぐに燃料が切れてしまった。

大学に入って3年も経ったころ、僕はなにをしていいのか、まったくわからなくなってしまった。

うつの症状が出始めてきたのもそのころだ。

これでもかというぐらい露骨に、ふつうに歩いて学校に向かうだけの足が止まってしまった。

物理的に動かなくなってしまった。

僕は必死に解決策を探した。

どうすれば僕の頭は、身体は前みたいに動いてくれるだろうか。

はじめは自分の描いた絵をじっと眺めてみたり、名画を見に行ってぼうっとしたりした。

友達の展示にも行って話したりもした。

どれだけ人の熱に触れても、身体の痺れはとれなかった。

 

それからしばらく、春が秋になるまでの間、小さな絵を描いてみたり、植物を育ててみたり、人にコーヒーをいれて話したりしていた。

それが僕にとってのなにもしないということだったのかもしれない。

意志をもつこと、自分をもつことに怯えて、なにもしないことをしていた。

満たされてはいなかったがそれはとても心地よかった。

ある日突然、そんな心地よいなにもない日々が「この電球は太陽じゃない。遠くに行きなさい」という言葉で、終わりを迎えた。

とても信頼している、自分以上に信頼している人からの言葉だった。

なんの意志もない僕はそんな言葉に逆らえるはずもなく、遠くの土地の本物の太陽を浴びた。

このころから、身体の痺れはとれていっとように思う。

 

僕は「じぶん」がいない。

「じぶん」の信じる「じぶん」がいない。

だから、ひとりで何かを始めたり、決めたりすることが本当に苦手だ。

でもいまはそれでもいいと思えている。

自分以上のなにかおおきいもの、信じるものに身を委ねることが、空っぽな選択よりよっぽどいい結果をもたらしてくれることを知ったから。

真に主体的なものなど、どこにあるんだろうということも考えるようになった。

割合は人それぞれ違っても、みんな誰かの要請に応えて生を選択している。

いま美術を続けていることも、特定の人か、不特定なよくわからないものの要請を勝手に受信してるからなんだろう。

それがたぶん僕の生き方で、役割なんだと思う。

決して自慢できるようなものでもないし、幸せかはわからないけど、勘違いからはじめた美術というものを続けることでようやく得たこれがたぶんぼくにとっての「じぶん」というものだ。

 

赤子のような場所

「守る」という気持ちがこれだけはっきり表面化しているのは人生史上初めてかもしれない。

様々な方の力添えがあってはじめて実現したことだけど、私はいま場所を持っている。

場所を持つというのも妙な言い方だけど、場所の魂のようなものを確実に私は握っている。

場所はその開き加減によって性質がどうにでもなってしまう。

単純に善悪、秩序と混沌、全ては場所を持つ人の裁量によって染まっていく。

私は私の中の場所がどれだけ開いているかをずっと確認している。

扉に鍵はかかっているか、それとも開け放たれているか。

窓にカーテンは引いてあるか、どれだけ光が差し込んでいるか、風が、音が入ってきているか。

現実にある場所もそれと同じような場所にしなければならない。

魂の宿る場所にしなくてはならないから。

少しでも油断するとすぐに外から意図しないものがはいってくる。

まだ赤子のような場所だから、それが免疫をもたないものであったらたぶん場所は弱って死んでしまう。

いまは私が守らないといけない。

巣を守る蜂のように攻撃的になっている。

いつまでこの緊張がつづくのだろう。

色の授業

近々行う小学生向けの美術の授業のデモンストレーションとして、三原色を混ぜて色をつくってみようというような内容の授業の流れを見せてもらった。

私が色覚障害だと発覚したのは小学校三年生のときの検査だった。

しかしそれより前から、図工で色を使うようなときはみんながどうやってあんな色をつくりだしているのか理解できなかったし、自分はどうやっても現実の色を再現してみせることができなかった。

母親からもらった大人っぽい色鉛筆には色の名前が書いていなかったから、隣の席の友達に「これって何色?」と聞いていた。

今思えば、聞かれた側は不思議だっただろう。

話を戻すと、そのデモンストレーションの最中、私は冷や汗やめまいがしてそこから早く逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

私がこの授業を受けてもたぶんなにも理解することができず、周りの友達に置いていかれると感じてしまったから。

私が思っているよりずっと色についてのコンプレックスは深いようだ。

私はいま美術の世界にいて、絵を描いている。

でもずっと絵は苦手で、嫌いだった。

褒められたことだって記憶の中にはない。

妙な縁で美大の油絵科を受験をすることになった際に改めて知った絵は私が知っているものよりずっと寛容だった。

見えている色を再現しなくていいなんてなんて素晴らしいんだろう!好き嫌いで色を使っていいんだ!

楽しくて楽しくて絵をたくさん描いた。

いま改めて色について考えている。

マイノリティであることはきっかけで、そのこと自体についてなにかいうつもりは

ないけど、少し角度を変えて色については考えられる。

現実の模倣でない色。

色としての色。

ただの色。

絵をつまらなく描いていた頃に復讐するような気持ち。

寄りそう

私は小さいころからゆうれいやら妖怪の類が好きで、図鑑や子ども向けの本なんかをずっと眺めて、気に入ったものがあれば絵を写して母親に見せに行ったりしていた。
五年前、芸術大学に入学して、作品制作を始めた。
そのころからふとそういったものたちについて調べだすようになった。
身近にゆうれいが見える人はいないかと聞きまわって、友人が紹介してくれた方に何度も話を聞いたり、実際に街を歩いてまわって取材したりもした。
最近、自分の絵を眺めているときに、そのとき聞いたことをひとつ思い出した。
その方は「ゆうれいは居心地のいい場所にいる。それは大体何かものがある場所、その側にいることが多い。」と言っていた。
その時は深く考えることもなかったけど絵をじっと見ていたら、なぜゆうれいは何かの側にいるのかということがわかりはじめてきた。
ゆうれいはこちら側からすれば存在が不確かなもので、観測できる人がいなければ視線を向けられることもない。
いま描いている絵も同じで、視線を集めるような画面ではない。
だから観測がとても難しい。
どうしたらよいかと考えているうちに、なにか視線が向くようなものの側に、それが居心地のいい場所に置けばよいのではないかという考えに至った。
ゆうれいは見えない。
でもなにか視線を集めるようなものの側にいれば、視界に入ることはできる。
そうして存在の不確かさを補っているのではないか。
そんなことを数年越しに理解した。

眠気、ふらつき

これを読んでいる人の周りに、いつも眠そうにしていたり、ぼんやりしているな、と思う人がいるかもしれない。

たぶんよく思い出してみれば誰の周りにもひとりはそんな人がいる。


僕はいま精神科に通院している。

いまの時代、あまり珍しくないことだから驚く人も少ないと思う。

三週間に一度診察があり、薬が処方される。

僕が処方される薬は主に二種類、抗不安薬抗うつ薬

作用は字面を見てわかるそのままこと。

その副作用としてどの薬にも〈眠気、ふらつき〉と書いてある。

僕の解釈だから間違っていることもあると思うけど、この薬は頭の過剰な回転や空回りを緩めるものだから、この副作用というのは本来の作用の延長にあるもので、決して付属することではない。


さっきの話にもどると、眠そうにしている人やぼんやりしている人は薬に頼らず、自分の力でそれを行なっている人なのではないだろうか。

常に回ってしまう頭をどうにか緩めようと、ぼうっとなにかを見つめたり、本を読んで意識のリズムを変える。

たぶんそんなことをしている。

僕はいま薬をやめてしまうと余計なことが頭を埋めつくして、動けなくなってしまう。

動くことには、適度に頭を緩めなくてはいけない。

頭を緩めることでようやく身体を感じることができる。

そしてそれを今度は動かしてみる。

ようやく数歩だけ、歩き出すことができる。

意思をこえて動きつづける力

‪2年前、スペース運営していた場所に行った。

みんなの記憶にまだあるだろうか、「参加」というあいまいな場所。

必死に未熟な理想を叶えようとして奔走した。

そんな態度に批判もあったし、実際に迷惑だけをかけてしまった人もいると思う。

あの時おせっかいだと思っていたことも、実は全く違う気持ちだったこともいまはわかる。

中身が追いつかない立派な箱になっていたことも恥ずかしくてたまらない。

でも2年たったいまそのときの未熟な態度が熟成していることを感じているし、それに伴って仲間も増えた。

あいまいなことをよしとすることに甘えていたところも見直して抽象的かつ明確なビジョンも得た。

加わることしかできなかった小さな力も加えていくことができるぐらいの力はついた。

これからはより大きく立派になった箱にどれだけの未知と理想をつめこんでいけるかということに尽力しないといけない。

夢みたいなことをあたりまえにすることがいまならできる。‬

自分だけが手にした現実が夢みたいだと笑われる世界がもう過去のものとなる。

もう少しの辛抱だ。

「あなた」のない国

「ボロボロの家」という言葉をGoogle検索にかけてみると、否定的な意見がズラッと出てくる。

肯定的かなと思った意見も、他のことの方が大事だから我慢しなさいというようなものばかり。

僕が家というものに固執しているのは資本主義の価値観が極めて影響しやすいものだからかもしれない。

日本のDIY感にちょっとズレを感じていたのもたぶんこの辺で、僕が感じていたDIYの魅力は自分の美意識に準じていちからつくりあげることができることだった。

僕はなぜか簡素で素朴でみすぼらしいものが好きだ。

古い軽トラを手にしたことも、その荷台につくっている小屋がちゃんとしていないのも、僕がいいと思ってやっている。

しかし日本でいわれている普通のDIYはみすぼらしいものを安価で資本主義的な価値観に沿ったきれいなものに取り繕う、というような印象を受ける。

そんなのなんにもおもしろくない。

個人がつくるという喜びも美しさもなんにもない。

自分だけに必要なことを見つけだすことはどうしてもこんなに難しいことになってしまったのだろう。