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ひかり

ひかりには二種類ある。

ひとつは太陽から届くひかり、もうひとつは人が作るひかり。

太陽からひかりが届いている時間を昼といい、人が作るひかりが活躍するのが夜だ。

ひかりを作り出してからひとは暗くなってからも活動できるようになった。

夜の世界でのひかりはひとの安心そのものだ。

街灯がおおい場所は人通りがおおいだろうし、ひかっている部屋は中にひとがいることを示している。

とおくのほうでぼやけているひかりを見ると逆に不安になってさびしくなるのも本来ひかりに安心を感じるからだ。

しかしこれらは「くらやみによりそうひかり」だ。

そうではない過剰なひかりは夜が夜であることを失ってしまう。

わたしたちが地球という星にいることはひとが宇宙空間に飛び出したときから、誰もが持つ共有の知識となったが、それを実感することは難しい。

昼があり、夜がくることはいまのわたしたちが地球という惑星にいるという感覚をいつでもどこでも感じることのできる数少ない手がかりだ。

わたしはいつか、夜のくらやみがなくなってしまうことを恐怖している。

くらやみはひかりのひとつの状態だ。

ひかりは常に変化している。

いつでも変わらないひかりなんて、この惑星上にあるべきではない。

衛星都市

わたしの住んでいる町は千葉県北西部の典型的なベッドタウン。

早朝の上り電車はいつも満員だ。

ドーナツ化現象で穴の空いた都心への呼び戻しが活発化する中、こちら側もまた活発な都市開発が進んでいる。

わたしの住んでいる町では「奏の杜」というニュータウンがほぼ完成に近づいている。

この新しい町は高層マンション群と低層の戸建て地区、大きな公園、集合農地、複合サービス施設などによって成り立っている。

電線は地中化され、異国のような景観を作り出している。

駅からも近く、快速電車に乗れば東京まで30分とかからない。

この新たな都市の出現で人口は著しく増加した。

しかしどれだけ人がふえてもここはベッドタウン、また明日も都心へ働きに出るために十分な休息を取ることが第一に優先される。

加えて、小さな子供を抱える家族が大多数を占めているため、深夜帯は驚くほど静かだ。

整理された土地、美しくデザインされた街灯や噴水、昼間はこの新しい街に住む子供で賑わう公園、それらすべてがほんとうによく眠っている。

衛星の夜は眠るための夜なのだ。

わたしはそこを歩く。

わたしのためにつくられていない道を、わたしのためにつくられていない街灯に照らされながら。

ほんとうのいえ

私はいつからか街を徘徊するようになった。

気晴らしや暇つぶしといえるかもしれないこの徘徊は実のところ家から外にでるということが一番重要なことなんだと思う。

わたしは千葉県北西部のいわゆる衛星都市、ベッドタウンのマンションに家族と住んでいる。

わたしは一度だけ引っ越したことがある。

しかしそれは同じ町内での移動だった。

距離にして1キロほどだ。

わたしは生まれてから今までずっとこの街に住んでいる。

それはつまりどこへ行ってもここへ帰ってくるということだ。

この家というところに守られ、縛られてきた。

なんとかうまくやってきたつもりだったが日に日に徘徊の頻度は増していった。

そのうち写真を撮るようになった。

無意識に撮られていく写真は家にまつわるものが多くなった。

生垣、門、屋根、窓、庭…

家に帰って夕飯を食べたあと、または帰るまでの道を延長して徘徊していたため、写真は夜の風景が多かった。

この延長された帰り道で行われる徘徊と撮影はいつか帰る場所を探しているようだった。

よその家から漏れるひかりはわたしを強烈に吸い寄せ、次から次へとひかりに誘われてさまよった。

マンション暮らしのわたしはとりわけ家の緑の部分に憧れを抱いた。

整えられた生垣、無造作に置かれた鉢植え、大きく育った立木、夜のひかりに照れされたその緑色にわたしはとりつかれた。

わたしの部屋にも少しでも緑を増やそうと、気に入る小さな植物を見つけては買って持ち帰った。

わたしのこころが安まる場所は人もまばらになった深夜の住宅街だけだった。

歩き回りながら人の家を眺めて気に入れば写真を撮る。

この行為を連続する中でわたしはほんとうのいえというものを強くこころに描き始めた。

ゆれるいえのイメージ

豊田市美術館で行われていた杉戸洋個展「こっぱとあまつぶ」をみた。

杉戸洋に偏見をいだいている人なんかがみたら一気にそれがふきとんでしまうようなすばらしい展示空間だったけど、それは目撃した人が知っていればいいことなので割愛して、杉戸さんが扱う「いえ」のようなモチーフに注目したい。

杉戸作品をみたことのある人ならぱっと頭に浮かぶあのよわよわしくたついえ。

絵画空間の中に数え切れないぐらい登場するこのいえ。

今回は建築家の青木淳さんとの共作で、そのいえのイメージが立体的な構造としてあらわれた。

展示された映像や状態をみて推察するに、そよ風にすらゆらいでしまうような構造。

展示空間内におかれたそれも実際にぎりぎり目視できるほどゆれているのがわかる。

こちらのからだのゆれか区別がつかないほどの微細なゆれ。

現実世界に登場したこの構造物はいままで描かれてきたものが単なるいえでないことをつよく主張するものだったように思う。

それはよわく、もろく、かるいものの記号であり、それがたまたまいえに似た構造だっただけというだけということが、くりかえし執拗に描かれることからもわかる。

ときに木のようなものに寄り添い、舟のようなものに浮かび、雪のようなものに埋もれる。

いくらかるく描かれていてもそれはそこにずっとじっと佇まなくてはいけないような宿命を負っているようにみえる。

杉戸さんは定住性という現代の習性に窮屈さを感じながらも、それと向き合い、たたかってきた人なのだと思う。

しかしたたかいというような抵抗であるだけではなく哀れみや愛着といった面も見て取れる。

 

私たちはどこかにいなくてはいけないけれど、それにはたえられないほどよわい存在になってきているように感じる。

それは居場所をふやすことかもしれないし、常に動き回ることかもしれないし、みんなでよりそいあっていきることかもしれない。

ときに絵画そのものより存在感をはなつ額、巨大な画面にちりばめられる微細な粒子、美術館のような立派な場所にはたえられないといわんばかりに寄り添い合う絵画、ゆれる半透明の構造物。

あそこでおこっていることを体験した人はみんな、たとえこっぱであっても、たっていられないようなよわいものでもそのままそこにいられるような方法のヒントをそっと持ち帰ったことだろう。

 

 

 

知ることを取り戻す運動

昨日はCAMP10周年企画のひとつ「わたし|あなたに、あったこと|なかったこと」を聞いてきた。

トークイベントで、ゲストは飯山 由貴さんとBarbara Darlingさん。

おふたりの特徴としては、本来作家によって表現されたものが置かれるアートの展示空間にそれ未満であると通常みなされるリサーチワークそのものが作家自身の手を加えられたものと同等かそれ以上の価値や意味をもつかのように配置されていることだ。

美術作家にとってのリサーチワークとはいったいどんな価値をもつのか。

私たちは研究者でもないし学者でもない。

彼らほどの深い興味を持つわけでもないし長い時間をかけるわけでもない。

あくまで作家として調べる、知る、ということをする。

その「作家として」という立場はどのような意義によって保たれているのか。

 

私は手ざわりを感じること、がそれを保っているように思える。

インターネットの普及により(もっと具体的にいえば検索機能により)知るということばの意味が変わってしまった。

私はインターネットがない時代をほとんど知らないし、その時代を生きていた人がどういう感覚で物事を知っていたのか推測することしかできないが、少なくとも今よりはもっと実感のあることばだったはずだ。

インターネットでの検索で直接手に入る知識、またはその知識によって得られる二次的な情報、その手にするまでの異常な速さが「知る」ということの深度を変えてしまった。

あまりに急速に縮まる対象と私との距離は無関心や嫌悪感を生む。

本来知ることにはその情報に出会うまでに適切な道のりがあると思う。

その距離をてくてく歩いていくことをせずにはほんとうに知ることができるとは思えない。

このてくてく歩いていく道中で出会う些細な情報やどうでもいいものにふれていくことが知ることに欠かせない手続きだ。

それによって得た手ざわりが、知ることの深度、実感を持たせ、対象に近づき、やっとのことで情報にアクセスすることが可能になる。

そのアクセスする手段を確立することが美術作家としてリサーチワークを行うことの意義だと思う。

この仕事を「知ることを取り戻す運動」だとよんでいる。

 

飯山さんの仕事でいえば実際に現実空間を歩いて探すということによって対象に近づき、次第にアクセスする権限を獲得していっているように思える。

これはかなりあいまいに見えるし、合理的に見えない方法ではあるが、じっくりそれを見ていると、確信に近いものをもって彼女がそれを実践していることがわかる。

このような説明のつかない、抽象的な作業を確信をもって行えるというのが美術作家の特権であり、唯一残されたやるべきことになっている気がしている。

そんな仕事を鑑賞者に、社会にどう接続していくかが作家にとって大きな課題だが、安易にわかりやすいことばを使ったり、ビジュアル化することではなく、丁寧に作家自身がたどってきた道のりをそれぞれの手法で共有することで可能にするべきだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

だれでもないについて

医師の熊谷晋一郎さんのインタビュー記事や鷲田清一さんの臨床哲学にふれて、障害当事者による「当事者研究」に興味を持った。

当事者研究が始まった北海道浦河町にある「べてるの家」。

そこで行われていることの映像記録を見ていていちばん印象に残ったことばがある。

統合失調症を患っている女性の「時々、自分自身をやめたくなります。」ということば。

これは自殺願望でもなんでもなくこの方のなかには「自分」がいて、その自分に嫌気がさすということだろう。

自分自身をやめるということはどういうことか。

自分自身をやめたあとの自分とはいったいだれか。

このことばをきいたときのあたまの混乱をいがらしみきおさんの漫画「だれでもないところからの眺め」を読んでいるときに味わった。

 

この話の登場人物は次第に疑う余地もなかった自分をちいさなゆれによって失っていく。

自分を失いつつあるなかで主人公の男は「じぶん」じゃなくなったあとの「じぶん」はいったいだれなんだという疑問を抱く。

そして「じぶん」を失う直前に確実な死を予感する。

しかしその男はその後も生きつづける。

ただなにもしゃべらず薄ら笑いを浮かべてどこか知らないところへ旅立っていく。

その姿はとても幸福そうに見えた。

 

もうひとつ、この「自分自身でなくなる」ということを考えさせてくれたものがある。

ミヒャエル・エンデの「だれでもない庭」だ。

この話にでてくる「だれでもない国」の住人は記憶をもたない。なにもかも忘れて、つぎつぎと、ただいきることだけをしている。

幸せそうなものもいれば、不幸せそうなものもいる。

ただ、この国にいるものはとても充実しているようだった。

常にあふれ出す「いま」だけをいきていた。

それにこの国のものはつぎつぎと形をかえて、一定の状態というものが存在しなかった。

常に変わっていくもの、過去がないものに「自分自身」なんてものはあるのだろうか。

 

わたしはだれでもなくなることに恐怖する。

しかしそれはほんとうに怖がるようなことなのか。

写真をとっていると、わたしが見たものを記録してしまうことになる。

とりためるほどに、わたしができあがっていってしまうような気がする。

それは安心するとともに、なにかに閉じ込められているような感覚に陥る。

だれでもなくなることができたら、きっと見えているものがなにもかも変わってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

誕生日の1日前、これまで覚えてきたことをぜんぶおっことしてしまったので、それを今日までちゃくちゃくとひろいあつめてきた。

その中にあたらしいものもまじっているからそれがいまはうれしくて、もうずっと思い出せないことのかなしみをなぐさめている。