読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

手間のはなし

アートにしろ建築にしろ、飽和した物質世界の中でどういう態度をとるかという問題意識を感じる。

まっさらな土地に新しいものを組み立てていくことは今ではほとんどないように思う。

既存の、古くなったもの、いらなくなったものにたいして入りこんで新しい価値を与える。

または歴史の再発見をする。

そうしたことが各地で頻発している。

そこでは、先にあるものへの態度というものが求められる。

干渉する、そのままにしておく、やり方はたくさんあるだろう。

なんらかの手間をかけなくてはその空間にいることが許されない。

その手間のかけ方が、よくない方法で行われている場合が多いような気がしている。

それはせっかくの豊かな土のある土手をコンクリートでびっしり舗装してしまうような手間のかけ方だ。

たしかにそこへは侵入することができるし、たいへんな手間ではあるから、満足したような気持ちになるだろう。

しかしこれでは、その先になにも育たない。

また荒れることすらない、循環の起こらない土地を増やしているだけにすぎない。

手間をかけたその先に手間のかからないことなどあるはずがない。

いま求められているのは、ゆっくりとそこに侵入していくようなことだ。

土地を知り、耕し、種をまくような。

そしてそこに手を入れ続けること。

時間を共に過ごしているという意識。

そんな手間のかけ方が理想的だ。


古いものを呼び起こすような、掘り起こすような最近の動向は、私には永遠に封印しているようにみえる。

自分勝手な介錯を塗り込めてしまったところにはもうなにも芽吹かないことだろう。