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やすむこと

わたしはほんとうにやすむこととはどういうことだろうと考えてきた。

朝起きて、夜眠る。

このサイクルの中のやすみはいったいどこにあるんだろう。

やすみといえば睡眠が思い浮かぶ人も多いだろう。

しかしわたしはまったくそう思えなかった。

睡眠は無意識下の出来事でコントロールができない。

いくら寝てもからだがやすまらないときもある。

やすむことは起きているときにできることだ。

からだをはっきりとした意識のもとにはたらかせることだ。

逆にやすめないこととはどういうことだろう。

それはなにものかに縛られてからだがこわばっていること状態だ。

なんどこの状態を終わらせようとしても自分の力ではどうにもならない。

からだだけやすめても縛られたものとのズレがおおきくなって負担がかかり、かえってやすむことからは遠ざかる。

 

なにかを整えているときわたしはやすむことができるのかもしれない。

しかもいま必要な整理をしているとき。

では必要な整理とはどのようなときにおこるのか。

たとえばなにかをおしまいにするときには整理することが必要となる。

お店をたたむとき、人と別れるとき、話を切り上げるとき。

いらないものを捨てたり、人にあげたり、ばらばらなものをひとつにまとめたり。

この運動をしていると、いまのわたしというものが浮きあがってくる。

これはいる、いらないというようなひとつひとつのものへの態度を選択することがそうさせてくれる。

そして最後はわたしのからだがぽつんと環境から切り離される。

しかし全てが簡単に断ち切れたり、切り上げられることだけではない。

そういうときにそれらをすこし誰かに預けたり、棚上げにすることができる。

わたしひとりが世界のなにともつながりを持たずたっていることはたぶん不可能だろう。

そういうときにすこしだけわたしではないだれかにわたしをすこし預けておくということができるようになれば、長い1日を終わらせてあげることができるかもしれない。