色の授業

近々行う小学生向けの美術の授業のデモンストレーションとして、三原色を混ぜて色をつくってみようというような内容の授業の流れを見せてもらった。

私が色覚障害だと発覚したのは小学校三年生のときの検査だった。

しかしそれより前から、図工で色を使うようなときはみんながどうやってあんな色をつくりだしているのか理解できなかったし、自分はどうやっても現実の色を再現してみせることができなかった。

母親からもらった大人っぽい色鉛筆には色の名前が書いていなかったから、隣の席の友達に「これって何色?」と聞いていた。

今思えば、聞かれた側は不思議だっただろう。

話を戻すと、そのデモンストレーションの最中、私は冷や汗やめまいがしてそこから早く逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。

私がこの授業を受けてもたぶんなにも理解することができず、周りの友達に置いていかれると感じてしまったから。

私が思っているよりずっと色についてのコンプレックスは深いようだ。

私はいま美術の世界にいて、絵を描いている。

でもずっと絵は苦手で、嫌いだった。

褒められたことだって記憶の中にはない。

妙な縁で美大の油絵科を受験をすることになった際に改めて知った絵は私が知っているものよりずっと寛容だった。

見えている色を再現しなくていいなんてなんて素晴らしいんだろう!好き嫌いで色を使っていいんだ!

楽しくて楽しくて絵をたくさん描いた。

いま改めて色について考えている。

マイノリティであることはきっかけで、そのこと自体についてなにかいうつもりは

ないけど、少し角度を変えて色については考えられる。

現実の模倣でない色。

色としての色。

ただの色。

絵をつまらなく描いていた頃に復讐するような気持ち。